会議を改善しても会議は減らない

| 2011年7月2日 | 0 Comments

会社の規模が大きくなる程「会議」に悩まされます。まず多い。会議会議で仕事にならない。次に無駄。参加者の多くは居るだけの非アクティブで、そもそも会議内容が只の「読み合わせ」だったり。だから会議室はいつも数週間先まで一杯。本当に必要な会議なのに会議室が予約できない!なんてことに。

すると「会議運営改善」がお約束のように始まる訳です。その結論は大概こんな感じ:「召集人数は最低限」「会議は事前に上長承認」「資料は事前配布」「参加者はそれを必ず読んでくる」「議事録は必須。所定の形式で所定の場所に保存」「会議室予約ルール厳守」「会議モデレートの勉強会」「効率的な会議研修」。

しかしまぁ、私の経験上、こういうのは一時的な効果はあげても長続きしない。
その理由は、たぶん問題設定そのものに誤りがあるから。

「会議」をとかく目の敵にする人は多いけど、実際には「会議」ほど効果的なコミュニケーション手段はない。参加者全員が同じものを見て、同じ意見を聞き、結論を共有する。「知らない」「聞いてない」なんてあり得ない。どんな忙しい部長もエース社員も、会議に参加させてしまえば強制的に1~2時間確保できる。

もちろん、この強力な効果には手痛い副作用がある。それはコストの高さ。単純に考えて時間×参加人数単価で、上司やそのまた上司を呼べばどんどん増える。スケジュール調整、事前資料、議事録の手間。されにこれは見えにくいけれど、「全員の特定時間を強制的に奪う」非効率(仕事の流れがブツ切りにされる業務非効率)のも大きな「会議」のコスト。

「会議」は「劇薬」なのです。だからこそ、本来はピンポイントで処方されるべきで、そんなことは大抵の人は理解している。でも現実には「劇薬」が濫用されいる。それは何故?理由はシンプルで、そうしないと仕事が上手く回らないからです。

私は日本企業に典型的な二つの要素がその原因だと思う。

1.担当各々の業務領域がきちんと定められていない。
2.判断権限が現場マネージャにない。
 
日本企業では、社員は所属部署の中でマルチな活躍を求められるし、それがヨシとされている。もちろん○○担当レベルの分担はされている訳だけど、それすらも結構曖昧で、「俺の仕事だ口出すな」「他人の担当だから知らない」は許されない空気がある。

これは必ずしも悪いことじゃない。チームとして一体感が生まれるし、業務が順調ならとても効率がいい。お互いが補完しあうのでミスも少ない。ひとりが欠けても、全体でカバーできる。日本型組織の強みはむしろこういう部分にあると思う。

しかし、この構造は「意思決定」、とりわけトラブル時のそれに弱い。まず関係者の範囲が明確でないため、常に最大数の意向を確認する必要がある。関係性の低い(と思われる)社員も、下手に無視すると「俺は聞いてない」とヘソを曲げられてしまい、他の仕事に支障がでかねない。

意思決定もどの領域のどのレベルの問題は誰が判断するのか、が明確でないので、現場マネージャはどうしても判断を「上」「横」へと展開せざるを得ない。「上」は上司で「横」は同じ高さの関係マネージャね。さもないと、こちらも後から「俺は認めてない!」とスネらてれしまい、他の仕事に支障がでかねない。

「それは○○さんもOKしてる?」お約束の台詞ですよね。しかし、この説明と意向調整を一人一人していたら時間がかかり過ぎて仕事が回らない!だから「会議」が必要なのです。

なので、この構造を解消しない限り、どんなに会議ルールを決めたり、会議スキルを磨いたりしても、無駄だよね!ということ。もちろんルールもスキルも悪くないし否定はしないけど、それはまた別の話。限られたリソースで問題を解決するなら、その問題の根幹に切り込まないと駄目だと思う。

それでは、ソウイウコトで。

会議 議事録 ミーティング 権限 組織112200446
Filed in: 雑記
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