ソーシャルは異なる価値観の交流で新しい価値を生む、の嘘
企業システムにおけるソーシャル/ソーシャルメディアの価値が俎上にあがるとき、私がいつも強烈な違和感を感じている説明がある。それは「ソーシャルを導入すれば、社内で異なる価値観がつながり、そこから新しい価値が生まれる」というものだ。
断言してしまうが、それは無い。この説明をする人は、おそらくソーシャルメディア(ここでは Facebook または Twitter を指すものとする)を自分自身で利用していないか、さもなければ営業上仕方なく言っているのではないか、と勘ぐってしまう(あくまで個人的意見だ)。
何故なら、そうならない(なりにくい)ことは、既に Facebook や Twitter で実証されているからだ。
ソーシャルメディアは「フォロー」という仕組みでユーザー間をゆるく連携する。フォローする、しないは、各ユーザーの判断による。そのため、良く言われるようにソーシャルメディアにおけるつながりは、個々人の「共感」をベースに成立している。
共感とは相手の言葉や行動、態度を好ましく思うことであるから、自身の価値観にそぐわないものに共感することはない。必然的に、ソーシャルメディアにおける関係性は、同じような思考/嗜好/価値観を持つグループに収斂してゆく。いわゆる「たこ壷化」だ。
こうした「たこ壷」化傾向は、旧来の Web フォーラムや掲示板でも見ることができた。しかし「場」ありきのフォーラムと異なり、ソーシャルメディアはまず人ありきだ。あくまで自分自身を起点に、人単位で「フォロー」し、不快な(共感できない)ユーザーはフォローを外す。もしくは「ブロック」で完全拒否する。こうして、まさにカスタムメイドの共感空間ができあがる。
この空間は麻薬的に居心地が良く、私を含め多くの人達がソーシャルメディアに多くの時間を費やす理由になっている。それはそうだろう、基本的に自分を肯定してくれる人達のグループなのだから。しかしそれは、一歩間違えれば、グループ内で賛同される自分の主張が、あたかも世間一般で賛同されているかのような錯覚に陥る危険性がある。
ただし、「たこ壷化」は必ずしも悪ではない。私自身の Facebook がそうなのだが、同じような専門性を持つ人間が集まることで、特定テーマについての議論や情報共有を深化させることができる。しかし、それは冒頭に挙げた「異なる価値観による新しい発想」とは別の話だということだ。
もちろん、その場その場では「異なる価値観による新しい価値」が生まれることもあるだろう。営業現場担当者と商品企画担当者が意見を交換し、お互いに新しい気付きを得るようなシーンだ。しかしこの場合、二人は共感ではなく問題意識を軸として繋がっている。それならソーシャルメディアでなくとも、メールあるいは、専用フォーラムを用意すれば済むし、その方が効率がいい。
ソーシャル/ソーシャルメディアは、あたかも魔法のツールであるかのように語られることがある。だが、これまですべてのシステムがそうであるように、あくまでひとつの「道具」に過ぎないし。また必ず導入しなければいけない、というものでもない。その特性を理解し、その上で、自社業務にどのように適応し、それによりどのような効果(利益)が期待できるのか?この点について、あくまで自社ベースでの熟慮が重要だ。