企業には「エンタープライズ・ソーシャル(企業内SNS)」など不要だ。とりあえずは。

| 2012年6月24日 | 0 Comments

このところ、企業内SNS(エンタープライズ・ソーシャル)という言葉をよく聞く。オープンウェブの世界で盛んな「Twitter」「Facebook」的なシステムを企業でも導入しよう、という訳だ。つい先日も、Microsoft社が企業内SNSサービスの大手「Yammer」を800億円で買収したとの報道が話題になった。

実際、私自身もSNSをよく利用する。既にビジネス活動の欠かせない一部だ。だから、この「エンタープライズ・ソーシャル」はとても関心のあるテーマなのだが…しかし一方で、ここ最近の加熱ぶりには少々、苦々さも感じている。

例えばこの記事「社内情報共有を促進するエンタープライズSNSの興隆」。なにやら凄そう、という印象こそ受けるものの、では実際に企業内SNSでどのように業務が変わるのか?何故「社内情報共有」が促進されるのか?肝心の点について、何一つ具体的な説明がない。

いまや「エンタープライズ・ソーシャル」はちょっとしたブームであり、それを銘打った製品・サービスも多数上梓されている。そしてこれからも益々増えそうな勢いなのだが─その周辺で語られる言葉は、上記のようなものばかりに見える。

技術的には目新しさのない「ソーシャル」

もっとも、これは当然かもしれない。いま「ソーシャル」と言えば Twitter と Facebook だが、機能ベースで見れば、それらシステムに特段の目新しさはない。基本はWeb掲示板とフォーラム。フォロー/フレンドはRSSとトラックバックだし、「いいね」も「Web拍手」等の仕組みは以前から存在した。企業なら、既存のグループウェアで出来ることがほとんどだろう。

そうしたある意味「あたり前」の機能を、Twitter は Twitter の、Facebook は Facebook のポリシーに即して組み合わせたところ、Webの普及やモバイルデバイスの浸透といった趨勢とマッチして、爆発的に利用者を獲得した。そして人が集まる故に、実社会にも無視できない影響力を振るうようになった。それが「ソーシャル」ともて囃されるものの本質ではないか。

だから Twitter であれ Facebook であれ、その仕組みだけを、まるっとそのまま、ぜいぜい数百人~数千人の企業に導入しても大した効果は期待できない。文脈が違いすぎるのだ。企業内 Twitter で情報共有が進んだり、エンタープライズ Facebook で社員のコミュニケーションが活性化したりはしない。もちろん、導入初期は物珍しさで利用されるだろうし、コンテキストが近い組織なら上手くいく可能性はあるが。

何のための「ソーシャル」なのか?

ソーシャルであれBIであれ、グループウェアであれ。システムを導入するのであれば、その目的と期待効果、そしてそこに至るプロセスをきちんと精査することが重要だ。その「ソーシャル・システム」は、どのように業務プロセスを変化させ、エンドユーザに働きかけ、最終的には企業に利益をもたらすのか?そしてそれは何故、既存システム(メールやファイルサーバ、グループウェア)では代替できないのか?

こうしたロジックの構築をすっ飛ばして「社内で情報共有が促進される!」と叫んでも、それは単なるイメージであり、なんら説得力を持たない。

まあ、恥ずかしながら、これは田原敏彦に「社長、これからはSISです!」と言わせた頃(80年代の話だ)からなにも変わらない、IT業界の悪弊ではある。商売である以上、仕方ない側面はあるのだが、誠実とは言えないし、少なくとも採用する側は、冷ややかな目で見守るくらいの冷静さが必要だ。

意地悪く言えば、あなたの会社に「エンタープライズ・ソーシャル」を提案に来た営業担当には、ぜひ、上の質問を投げかけて欲しい。それにきちんと応えられたら、本物だ。提案書に目を通すのはそれからでも遅くはない。

ただ、冒頭で書いたように、私自身は「企業内SNS」に決して否定的ではない。更に言えば、Facebook は、間違いなく私のビジネス活動に貢献している。そこで、以降はあくまで私自身の体験をベースに、エンタープライズ・ソーシャルが、実際にどのように役立ち得るのかを考えてみたい。(Twitter も役立っているのだが、議論を整理するためここでは省略する)

Facebookから「エンタープライズ・ソーシャル」を考える

現在、私の Facebook の「フレンド」は125人。うち八割前後が仕事関係(IT業界人)だ。この「友人」の位置づけは難しいが、基本的に私がリスペクトしたり、シンパシーを感じる人達が中心になっている。名刺交換してそれきり、というユーザはあまり居ない。

普段の会話はほとんどが雑談だ。IT関係者が多いため技術系のWeb記事に対するコメントが多いが、普通に「料理の写真」や「旅行先の写真」「ペットの写真」、時事も話題になる。

一方、直接仕事に繋がるような話は少ない。いわゆる「情報共有」や「コラボレーション」は皆無とは言わないが…ほぼゼロだろう。どちらかと言えば、Facebook上の会話から、日々さまざまな「気づき」を貰っている。また、自身の疑問を Facebook 書き込むと、他のユーザから「それは」と即時に反応して貰えることがあるのは、とてもありがたい。

だから、私は Facebook を企業の喫茶室のようなもの、と捉えている。あくまで雑談中心だが、それは決して無為な時間潰しではない。日常業務では接する機会がない人達と会話し、心理的距離感を縮める意味がある。その場でちょっとした発見や、少なからず重要な伝聞、コラボレーションの機会が生まれることもあるが、それも心理的距離の近さがあってこその副産物だ。

物理的な「喫茶室」では、どうしても社内のメンバー、かつ同じ時間に集まることができる数人に限定されてしまう。しかし、ネットワーク上の Facebook なら、そうした制約を取り払い、より多くの「雑談」を(ある意味とても効率的に)することができる。ソーシャルが「広範囲のユーザと心理的距離を近づける」ツールとして有効である、とは間違いなく言えるだろう。

ただし、この効果はあくまで「接触時間」の乗算である点がポイントだ。効果を得るには、一定の時間、(業務時間中に)業務と無関係な「雑談」を許容する必要ある。これまで「喫茶」という方便でのみ許されていた「無駄な時間」を、果たして組織は認められるだろうか?

加えて、ソーシャルは「喫茶室」に比べ広くアプローチできる反面、時間あたりの密度は薄い。本当の意味で密な意思疎通ができる関係を築くには、やはり直接会って話し、そして仕事上で協働することこそが最上であることは変わりない。つまりソーシャルは万能ではなく、あくまでリアルを補完するものだ。

また、私の場合、とくに狭い業界内での交流が多いため、時にはお互いが競合関係となる場合もある。過去のプロジェクトについて、どこまでソーシャルに発言することが許されるのかは、常にデリケートな問題だ。しかし実際には、私の友人たちは皆、かなり踏み込んだ部分まで書くし、まただからこそ、そこから実のあるコミュニケーションが生まれている。

だが、私の経験からすると、こうした人達はむしろ例外的と考えるべだろう。組織に所属する会社員の感覚としては、むしろセンシティブな話題にはできるだけ触れず、明確な必要性の薄いリスクはおかさないことこそが「正しい」態度(節度)であるからだ。

ここにもひとつ、重要なポイントがある。つまり、私の友人達は、ある程度のリスクは当然と折り込んだ上で、それでもなお積極的に情報発信する、ある種「Web的」な価値観と習慣を、そもそも持っている。そこに Facebook の有無はあまり関係がない。便利なツールであり場であるから利用されているだけだ。

だが、前述の通り、大抵の社員は(組織内で「優秀」とされる人ほど)そうではない。これは実に悩ましい問題で、この点への考慮不足が、SNSに限らず社内の「情報共有」プロジェクトが頓挫する原因のひとつだ。とりあえずソーシャルを導入して、あの手この手で盛り上げて社員に使わせれば、次第に普及してなんとかなる…という訳にはいかないだろう。何故なら、それは個人の価値観、企業なら社風の問題だからだ。

だから、もし、あなたの組織が今「部署の壁が厚く、コミュニケーションができていない」と悩んでいるとしたら。そこに「エンタープライズ・ソーシャル」を導入しても、おそくら何も変わらない。ここでもソーシャルの役割は「乗算」であり、ゼロに何を掛けてもゼロなのだ。

まずはゼロを1にする努力ありき、である。それを支援する要素のひとつ、としてエンタープライズ・ソーシャルは位置づけられるべきだ。「導入することで組織が変わる」のではなく「組織が変わるので導入する」のだ。この順序を逆にしてはいけない。

結局のところ、企業内ソーシャルは(他のシステムがそうであるように)ひとつの道具にすぎない。その可能性を軽視する必要はないが、一方で過信(妄信)は禁物だ。私は企業内ソーシャルに大きな可能性を感じるからこそ、昨今の風潮に戸惑いを感じている。

なお「エンタープライズ」な「ソーシャル」という言葉には少々違和感を感じないではない。企業なのか社会なのかどっちだ。

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